2012年9月24日月曜日

本当に「なるようにしかならない」のか?



明日の長野の旅行は体調が思わしくないため、キャンセルとなった。

最後になるであろう同窓会だっただけに残念だったようだ。

かくいう自分も初めての長野となる機会が失われてしまってがっかりである。


物事は「なるようにしかならない」と言う。
それは好ましくない事態に対する諦めからの言葉なのであろう。


だが
諦めの気持ちをそのままにして前に進むことはできようか?

故事に『人間万事、塞翁が馬』というのがある。

塞翁の息子が落馬した。勿論生半可な怪我ではなかった。
だが、その怪我のお蔭で息子は兵にとられることがなく、戦争に行かなくて済んだ。
という挿話に基づいている。


事態は中々思い通りにいってくれないことの方が多い。
だからこそ、大切なのはその事態の善し悪しをつけるのではなく
現実をありのままに受け入れることではなかろうか。

そうすることで人というのは前に進める、と思う。

さて、
その考えをとある団体では「現実大肯定」と呼んでいる。
宗教団体とはまた一線違った組織であり、その始まりは爆心地、広島から生まれたといわれている。


一人一人が行動を起こしてより良い自分になろうと努力する。
そこには「なるようになる」というのではなく「良くあろう」とする姿勢がうかがえる。

何にせよ
起こす行動の大小に関わらず、老若男女問わず努力しようとする直向きな姿には
本当に頭が下がる。

今の社会に「この考え」があまり普及していないのが残念であるけれども。

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